千昌夫 ☆ 星影のワルツ

2024. 11. 7. 05:48Japanese Arts

千昌夫 ☆ 星影のワルツ

호시가게노 와루츠

별이 빛나는 밤의 왈츠

(1966年)

唄:千昌夫 (센 마사오 )
作詞:白鳥園枝(시라토리 세이고) 作曲:遠藤実(엔도미노루)

 

https://www.youtube.com/watch?v=gjBuxB-Jj1o

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=fa5ZQn2hsl0

 

 

 

星影のワルツ」(ほしかげのワルツ)は、1966年3月24日に発売された千昌夫のシングル。

 

アレンジを変更して再録音したものが1968年3月に再発売されている。

当初のA面曲は「君ひとり」であった。1966年発売ながら、1968年に集計が開始されたオリコンチャートの集計では170万枚を超える売上を記録した。

1966年の発売当初は売れ行きは低調であったが、千自身がこの曲を気に入って歌い続け、全国の有線放送に働きかけてヒットへ導いた。1967年頃から各地の有線放送で火がつきはじめた。累計売上は250万枚。

 

日本国外でも歌われており、まず台湾で「星影的別離」として発売、続いて香港シンガポールマレーシアへと広まった。マレーシア出身の演歌歌手荘学忠によって「星夜的离别」と言うタイトルでカヴァーされている。

 

「星影のワルツ」の歌詞ミノルフォンレコード第二制作部長が作曲者の遠藤実のところに持ってきた、作詞の同人誌『こけし人形』に収録されていた白鳥園枝の四行詩「辛いな」に歌詞を追加して改題したものである。

 

오리콘 주간 1위, 오리콘 연간 1위(1968년), 250만매 이상 발매 기록.

 


1.

わかれることは つらいけど

와카레루코토와 츠라이케도
헤여지는건 괴롭지만

 

しかたが ないんだ きみのため

시카타가 나인다 키미노타메
어쩔 수 없어요 그대를 위해


わかれに ほしかげの ワルツを うたおう

와카레니 호시카게노 와루츠오 우타오우
이별에 별빛의 왈츠를 노래해요


つめたい こころじゃ ないんだよ

츠메타이 코코로쟈 나인다요
냉정한 마음이야 아닌거야


冷たい 心じゃ ないんだよ

츠메타이 코코로쟈 나인다요
차가운 마음이야 아닌거야


いまでも すきだ しぬほどに

이마데모 스키다 시누호도니
지금도 좋아해요 죽을정도로

 

2.
いっしょに なれる しあわせを

이ㅊ쇼니 나레루 시아와세오
함께 살 수 있다는 행복을


ふたりで ゆめみた ほほえんだ

후타리데 유메미타 호호엔다
둘이서 꿈꾸었지 미소지었지


別れに 星影の ワルツを うたおう

와카레니 호시카게노 와루츠오 우타오우
이별에 별빛의 왈츠를 노래해요


あんなに あいした なかなのに

안나니 아이시타 나카나노니
그토록 사랑했던 사이인데도


あんなに 愛した 仲なのに

안나니 아이시타 나카나노니
그토록 사랑했던 사이인데도


なみだが にじむ よるの まど

나미다가 니지무 요루노마도
눈물이 번지는 밤의 창문

3.

さよなら なんて どうしても

사요나라 난테 도우시테모
작별인사 같은건 아무래도

 

いえない だろうな なくだろうな

이에나이 다로우나 나쿠다로우나
말하지 못하겠지만 울것 같아요


別れに 星影の ワルツを うたおう

와카레니 호시카게노 와루츠오 우타오우
이별에 별빛의 왈츠를 노래해요


とおくで いのろう しあわせを

토오쿠데 이노로우 시아와세오
멀리서 기원할께 행복하기를


遠くで 祈ろう 幸せを

토오쿠데 이노로우 시아와세오
멀리서 빌고있어 행복하기를


こんやも ほしが ふるようだ

콘야모 호시가 후루요우다
오늘밤도 별들이 내리는 거같아

 

 

 

松原智恵子_ The Way We were

https://www.youtube.com/watch?v=GzGOD3gIlyc&list=PLCrGj92S8ktUxpsEu2Dzka1Q4YxdXMQ3a&index=1

 

松原 智恵子(まつばら ちえこ1945年1月6日 - )は、

日本の女優タレント。所属事務所はグランパパプロダクション(過去に日活株式会社 → 吉田名保美事務所 → 兒山美榮事務所に所属)。岐阜県生まれ、愛知県名古屋市育ち。菊華高等学校(現杉並学院高等学校)卒業、明治大学二文英文学科出身。身長157cm。血液型O型。特技は日本舞踊乗馬

 

#松原智恵子#1967年#22歳#日活三人娘#女学生の友

 

 

日活三人娘の一番人気 松原智恵子

2020-06-12 14:22:40
テーマ:ブログ

松原智恵子さん、吉永小百合さん、和泉雅子さんの お三方は日活三人娘として人気でしたが、

この中で一番プロマイドが売れていたのは松原智恵子さん。

 

実家は名古屋市南区で銭湯を経営(現存)。戦時中、名古屋大空襲を避けるため、母親が疎開していた岐阜県で生まれ、戦後に実家のある名古屋に戻った。

 

1960年、高校生の時に日活が行った「ミス16歳コンテスト」に入賞し、副賞としての撮影所見学がきっかけで「夜の挑戦者」で端役デビュー。

日活時代はアクション映画青春映画のヒロイン役を多く演じ、1971年に日活の一般映画制作中断により日活を離れ、テレビドラマに主軸を移して活動。

1960年代を代表する名古屋美人の1人」と評され、吉永小百合和泉雅子と合わせて「日活三人娘」と呼ばれた(1967年のブロマイド売り上げでは、吉永、藤純子(現・富司純子)、和泉、酒井和歌子内藤洋子らを抑えて女優部門のトップになったほどの人気ぶりだった)。都会的で可憐な清純派スターとして絶大な人気を誇り、日活全盛期を代表する女優の1人でもあった。

日活への入社が決まるや否や、父親が東京都調布市に一軒家を建ててくれたため、お手伝いさんと2人で住んでいたという。

 

16歳で軽自動車、18歳になると普通自動車免許を取得。結婚前はかなりのスピード狂で、高速道路で抜かれると「よくも!抜いたわね〜!(といった具合で)必ず抜き返していましたね」とコメントしている。

27歳でジャーナリストの男性と結婚。新婚旅行ではアフリカ大陸に長期滞在。38歳で妊娠、39歳で長男を出産した。

代表作である『ある日わたしは』が48年ぶりにスカパー!にて再放送されることが読売新聞で報道された。

2016年12月、第1回ソチ国際映画祭で『ゆずの葉ゆれて』の演技が認められ、主演女優賞を受賞した。

 

 

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