上州鴉 - 瀬川 伸.瀬川瑛子

2024. 11. 27. 03:37Japanese Arts

上州鴉 - 瀬川 伸

作詞=山本逸朗 作曲=島田逸平 

https://www.youtube.com/watch?v=FLGg021pwjY 

 

上州鴉 瀬川伸 大映 「上州鴉」主題歌


銀の朱房(しゅぶさ)に 塒(ねぐら)を追われ
旅を重ねた 上州鴉
なんの此の世に 未練はないが
一度行きたい
一度行きたい 母の里

 

姿やつして 身を忍ばせて
来れば故郷は 祭の太鼓
浮いた浮いたも やくざの身には
袖につめたい
袖につめたい 涙雨

瞼離れぬ 心の重荷
きれいさっぱり 流して解いた
亥之(いの)が情の 茶碗の酒を
呑んで 去りゆく
呑んで 去りゆく 旅がらす

 

上州鴉 瀬川伸&瀬川瑛子

https://www.youtube.com/watch?v=lZP9N6hiBpY

「上州鴉」瀬川伸さんは、瀬川瑛子のお父さんでしたよね…

 

上州鴉 唄 瀬川伸

(瀬川 瑛子のお父様です)

https://www.youtube.com/watch?v=_0pTnOgolxU 

 

 

1.

銀の 朱房に ねぐらを追われ
킨노 슈부사니 네ㅇ구라오 오와레
포졸에게 고향을 쫓겨나서

旅を重ねた 上州鴉
타비오 카사네타 죠슈우카라스
객지를 떠도는 죠슈우 나그네

なんの此の世に 未練はないが
난노 고노요니 미렌와 나이ㅇ가
무슨 이세상에 미련은 없지만

一度行きたい 一度行きたい
이치도 유키타이 이치도 유키타이
한번 가보고 싶은 한번 가보고싶은

母の里
하하노 사토
어머니의 고향

2.

姿(すがた)やつして 身を忍ばせて
스ㅇ가타 야츠시테 미오시노바세테
변장을 해서 몸을 숨기고

来れば故郷は 祭りの太鼓
쿠레바 고쿄우와 마츠리노 타이고
돌아와보니 고향은 축제의 북소리

浮いた浮いたも やくざの身には
우이타 우이타모 야쿠자노 미니와
들뜬 분위기도 방랑자의 몸에는

袖に冷たい 袖に冷たい
소데니 츠메타이 소데니 츠메타이
소메에 차가운 소메에 차가운

涙雨
나미다 아메
눈물의 비

3.

瞼 離れぬ 心の重荷
마부타 하나레누 고코로노 오모니
눈에서 떠나지 않는 마음의 부담을

きれいさっぱり 流して解いて
키레이 사ㅊ파리 나ㅇ가시테 토이테
말끔히 후련하게 잊어버리고

亥之が情けの 茶碗の酒を
이노ㅇ가 나사케노 챠완노 사케오
늦저녁 인정의 찾잔술을

呑んで去りゆく 呑んで去りゆく
논데 사리유쿠 논데 사리유쿠
마시고 떠나가는 마시고 떠나가는

旅鴉(たびがらす) 
타비ㅇ가라스
떠도는 나그네


참고
やくざ.너절함 : 三枚라는 노름에서 (八=여덟끗) (九=아홉끗) (三=세끗)의 수가 나오면 지게 된데서 나온말
(=かたぎ.건실함)

 

 

 

瀬川 伸

瀬川 伸(せがわ しん、1916年10月24日 - 2004年3月14日)は、北海道函館市出身の歌手。中国語名は施延雄。娘の瀬川瑛子も同じく歌手である。

 

いずれの作品も片面の女性歌手の曲の方がヒットしたため、戦前における瀬川の活躍は昭和15年を境に 縮小していく。戦時中の一時期は横浜南京町に住んでいたが、瑛子が生まれた昭和22年転居している。 戦後、恩師・江口夜詩のキングレコード移籍とともに同社の専属となり、「パラオの真珠取り」などを発売するもののヒットには結びつかなかった。デビューから10年以上が経過した昭和25年、キングレコードに買収されていたタイヘイレコードが独立したことを機に、再度移籍。翌年、昭和26年に発売した同名映画の主題歌「上州鴉」が大ヒット。瀬川伸としての初ヒットとなった。 その後、「天龍鴉」「甲州鴉」といった時代劇を題材にした股旅歌謡の他に、「バッテン港の蒼い船」「港神戸のマドロスさん」「港シスコのマドロスさん」といったマドロス物もヒットさせ、紅白歌合戦にも出場するほどの人気歌手となった。一方で、戦前からのファンであった女性と結婚し、苦労時代も長かったことから、品川大井町で焼肉屋を経営するなど、堅実な一面もあった。

 

 

「自分の後継者を育てたい」という願いから、娘たちを流行歌手に育てようとレッスンをしていたが、 次女である瑛子のみが父の教育に従った(しかし、長女も一時期、セミプロの歌手として活動している)そのため、瑛子は小学生であった時代から、自らの舞台に前座として起用されていた。昭和31年頃を最後にマーキュリーレコード(タイヘイレコードに海外資本が入ったため社名変更)でのレコーディングから遠ざかり、マーキュリーの倒産後はフリーの歌手として、昭和40年頃までは歌手活動を続ける。

 

 

娘の瀬川瑛子は「長崎の夜はむらさき」でヒットを出すものの永く下積みを続けていた。その後、「命くれない」で大ヒットを飛ばし、紅白歌合戦出場を果たした際には、親子二代での紅白出場として話題となった。平成3年にはテレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」に娘・瑛子の後見役として特別出演。引退した瀬川に代わって「上州鴉」を歌う娘・瑛子の傍で小声ながらも口ずさむ姿は往年のファンを喜ばせた。

 

平成16年2月、妻・たか子が死去。わずか2週間後の3月14日、瀬川も心不全で死去した。

 

 

五木ひろし 上州鴉 

(唄 五木ひろし이츠키 히로시)

作詞=山本逸朗 作曲=島田逸平 

https://www.youtube.com/watch?v=jcIg3XR_DBg