倍賞千恵子 下町の太陽

2024. 11. 13. 05:55Japanese Arts

倍賞千恵子

倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年昭和16年〉6月29日[1] - )は、日本女優歌手声優愛称は「チコちゃん」。

松竹音楽学校を首席で卒業された、倍賞千恵子さんの歌声を堪能しましょう。

 

妹は女優の倍賞美津子。弟は日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明新日本プロレスリング元専務取締役で二代目リングアナウンサーの倍賞鉄夫。夫は作曲家小六禮次郎

 

生い立ち

西巣鴨生まれ。東京都北区滝野川に育つ。戦時中は茨城県疎開。北区立滝野川第六小学校、北区立紅葉中学校(現・北区立滝野川紅葉中学校)卒業。父は都電運転士、母は車掌であった。

 

倍賞家

珍しい倍賞姓は秋田県鹿角郡(現 鹿角市十和田大湯にルーツを持つ。先祖は佐竹藩に仕えた守衛で、先祖の一人に頭の良い人がいて書記に抜擢され、何かの賞を受けたのがこの姓の由来という。足軽として挙げた武功が秀でており、二倍の恩賞を受けたことから、倍賞姓を名乗るようになったという。千恵子の父 美悦は当地の出身で、中学のとき東京に出て、数え年15のとき少年車掌の試験を受け合格した。母 青木はなは茨城県真壁郡大和村(現 桜川市)出身。母も小学校卒業後、東京で女子車掌となり美悦と知り合い結婚した。

 

映画デビュー

1962年

 

1963年

 

 

1961年、松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団し、『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。1963年、山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演して以降、山田作品に欠かせない庶民派女優となる。『下町の太陽』は映画・歌だけでなく、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている。

1963年に『下町の太陽』で、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも4年連続出場した(詳細は下記参照)。他のヒット曲に「さよならはダンスの後に」「おはなはん」「忘れな草をあなたに」(菅原洋一らとの競作)などがある。

 

山田作品の常連に

映画『男はつらいよ』シリーズでは渥美清演じる主人公車寅次郎の妹さくら役を演じ、人気を不動のものにした。『遙かなる山の呼び声』で共演した吉岡秀隆とは現在でも親交が深く、北海道野付郡別海町の倍賞の別荘遊びに来た際には、(吉岡に)マッサージを頼むほどの仲である。

 

映画『家族』をはじめ、『男はつらいよ』シリーズの合間を縫って山田が発表したオリジナル大作にも出演。特に『キネマの天地』までは全て主演かマドンナ役である。『男はつらいよ』シリーズ開始前の初期山田作品のほとんどでも倍賞が主演を務めており、延べ60本以上の作品に渡って、海外にも類を見ないほどの緊密かつ長期の監督・主演(または準主演)女優コンビを維持した(それでいて私的な交際の噂が立ったことは一度もない)。逆に他監督作品への出演は非常に少なく、悪女役への意欲も口にしていたものの映画では実現していない。松竹歌劇団出身ということもあり、コンサートなどでは思い切ったモダニズム志向も発揮している。

 

歌手活動

代表曲

  • 下町の太陽(1962年10月) - 倍賞のデビュー曲で、1963年に主演映画『下町の太陽』が公開された。
  • 瀬戸の恋唄(1962年10月) - 「下町の太陽」と同日発売[29][注釈 3]。『はだしの花嫁』の主題歌。
  • さよならはダンスの後に(1965年3月)

受賞歴

 

 

倍賞千恵子 下町の太陽

1963

作詩 横井 弘 作曲 江口浩司 編曲 小川寛興

https://www.youtube.com/watch?v=-gz4h3c2eg4

 

 

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