純愛の砂 倍賞千恵子

2024. 11. 13. 06:07Japanese Arts

純愛の砂  倍賞千恵子

純愛の砂~唄 倍賞千恵子 (日本の女優、歌手、声優)

https://www.youtube.com/watch?v=z8RTCDis3YI

 

 

純愛の砂

ジュンアイノスナ

 

 

愛のなぎさをさすらいの

旅はしい 我がさだめ

さらさらと  さらさらと

指より逃げる 砂に似て

儚きゆえに なおさらに

 

なぎさ [渚, 汀] (바다·하천·호수 등의) 물가 

はかな[果無, 果敢無, ] (ハカナシ의 어간) 덧없는 것 

はかなし[果無し, 果敢無し, 儚し]

儚은 '어두울 맹/몽' 

 

Ai no Nagisa o sasurai no

tabi wa kanashīi waga sadame

sarasara to sarasara to

yubi yori nigeru suna ni nite

hakanaki yue ni naosara ni

사랑의 해변을 헤매는

떠돌이  슬픈 나의 운명

술술~ 술술~ 

손가락 빠져나간 모래처럼

어리석음 때문에  더욱더

 

 

さらされ 

泣けば涙 またぬれる

さらさらと さらさらと

崩れて消える 

いつの日届くあの夢に

* 届とど

Kaze ni sarasa re nami ni yure

nake ba namida mata nurerude

sarasara to sarasara to

kuzurete kieru suna no tō

itsu no hi todoku ano yume ni

 

바람에 쓸리고 파도에 흔들려

울면은 눈물에 또 젖어

스르르~ 스르르~

무너져 사라지는 모래탑

어느 때ㄴ가 닿을 그 꿈에로

 

 

燃える乙女の  祈りこめ

一人積みましょ いつまでも

さらさらと  さらさらと

せめても歌 へ  愛の砂

うつろな小さいこの胸 に

 

Moeru otome no inori kome

hitori tsumimasho itsu made mo

sarasara to sarasara to

semete mo uta e ai no suna

utsurona chīsai kono mune ni

 

불타는 처녀의 간절한 기도

혼자 쌓아가요 언제까지나

조금~  조금~

그나마 노래에 사랑의 모래

텅빈  작은 이 가슴에

 

じゅんあい[純愛] ささげる 歌~

 

 

 

純愛の砂(昭和32年)大津美子

1957

矢野 亮 作詞、飯田三郎 作曲

https://www.youtube.com/watch?v=HS87XYK72og

 

大津美子さんの若き頃の歌, 素敵な曲

 

 

大津美子  プロフィール

大津 美子(おおつ よしこ、1938年1月12日 - )は、日本歌手

 

愛知県豊橋市出身。私立桜ヶ丘高校卒業。

1953年(昭和28年)、キングレコード専属作曲家だった渡久地政信に弟子入り。この頃は、毎週土曜日に夜行電車に乗り上京し、翌日の昼のレッスンを受け帰郷するという生活を続けていた。

 

1955年(昭和30年)7月、キングレコードから「千鳥のブルース」でデビュー。デビュー2ヵ月後の9月に発売した「東京アンナ」が大ヒット。「東京アンナ」がヒットしている最中、恩師渡久地政信ビクターに移籍した。これにより落胆する大津にキング文芸部長だった町尻量光は、同社作曲家だった飯田三郎を紹介し、以後、飯田が大津を指導することになる。

 

1956年(昭和31年)、師である飯田が作曲し高橋掬太郎が作詞した同名映画の主題歌「ここに幸あり」が空前の大ヒットとなる[2]。国内では結婚式用ソングとして親しまれた[6]ほか、とりわけハワイブラジルなどの多くの日系人の間で当時から今日に至るまで愛唱されており、大津も公演に出向いた。

 

NHK紅白歌合戦に7回出場している(詳細はNHK紅白歌合戦出場歴の節を参照)。

1969年(昭和44年)、実業家と結婚。1980年(昭和55年)、脳動脈破裂くも膜下出血)により倒れるが、奇跡のカムバックを遂げた。


出身地・愛知県豊橋市  出身校・豊橋市桜ヶ丘高校

昭和28年 中学時代から赤十字のボランティアに参加。孤児院や老人ホ-ム、病院等の慰問や歌唱指導をしながら歌手への夢をはぐくむ。
歌謡コンク-ルで東海地区代表に選ばれレコ-ド会社からもスカウトされるが、本格的な指導を受けるべく作曲家・渡久地政信氏の門を叩く。
  30年 「千鳥のブル-ス」でキングレコ-ドよりデビュ-。
2作目の「東京アンナ」が60万枚突破の大ヒット、同年NHK紅白歌合戦に初出場(以後6年連続出場)し、人気歌手の仲間入りを果たす。
  31年 「ここに幸あり」「流れのジプシ-娘」等発売。
  32年 「いのちの限り」「東京は恋人」「純愛の砂」等発売。

 

 

純愛の白い砂-本間千代子
作詞 作曲 米山正夫