後編 日本で初めての童謡II

2024. 11. 15. 03:16Japanese Arts

後編 日本で初めての童謡II

 

りす りす 小栗鼠
ちょろちょろ 小栗鼠
あんずの実が 赤いぞ
たべたべ 小栗鼠

 

 

りす りす 小栗鼠
ちょろちょろ 小栗鼠
さんしょのつゆが 青いぞ
のめのめ 小栗鼠

 

 

りす りす 小栗鼠
ちょろちょろ 小栗鼠
ぶどうの花が 白いぞ
ゆれゆれ 小栗鼠

 

今回も我が家のアップライトピアノに歌を重ねて。レファ#ラのDのコードで歌ったので、最後はレで終わったのだけど、端から端までのユーモラスで起伏に飛んだ展開があるからこそ、気持ち良く着地できる。やっぱりリスが枝から枝へ飛び移るさまをイメージしたのかな。

続けて、リスニングルームで為三さんのいろんな曲を聴かせてもらう。童謡だけでなく、クラシカルな歌曲、輪唱曲、ピアノ独奏曲、歌のないオーケストラ編成の器楽曲、さらに民謡を近代風にアレンジしたものまで、実に幅広い。

 

20代の時点ですでにたくさんの童謡を作曲した為三さん。その後大正10年から4年間、ドイツに留学して音楽理論をさらに深めることになる。帰国したあとに作られた楽曲は、そういった童謡とは正反対の大人のための音楽も多かった。さらに「和声」「作曲法」「対位法(たいいほう)」などの理論書を多く出版し、西洋音楽を日本に広めようと尽力に尽力を重ねる。

 

けれども世間は為三さんのことを「童謡の作曲家」と捉え続けていて、本人はジレンマを感じることが多かったそうだ。前回歌った「浜辺の歌」が当時のラジオから流れたときも、「早く終わればいいのに」と弟子につぶやいたのだとか。でも、自分の思惑とは違う一面でまわりから評価されることって、作り手ならみんな一度は経験していることだと思う。それは僕も含めて。

そんな為三さんでも、本当はいつでも子どもたちのことを一番に考えていたのではないかな、と思えることがある。ドイツで何よりも真剣に学んだのは、「カノン(対位法)」という技法。例えば「輪唱」もそのひとつで、主旋律をひとつのパートだけが歌うのではなく、別のパートも追いかけっこをするように後から付いていく。もしくは主旋律に負けないほど主張のある別の旋律を、別のパートが同時に歌うことで、振れ幅の大きなハーモニーを作る。

まるでいくつもの飛行機が、飛行機雲をお互いにぶつけ合いながら彼方へと飛んでいくように、一聴すると自由でのびのびとした音楽だけど、かなり綿密な計算が必要な技法でもある。そんな対位法を巧みに使った歌唱スタイルは、学校の合唱コンクールなどで歌われる多くの楽曲にも生かされている。子どもたちに対して童謡だけでなく、こういった違うアプローチからも貢献した為三さん。すごい。

さまざまな角度から音楽に向き合い、生涯で300曲あまりを作曲したと言われている。しかし残念なことに、昭和20年の東京大空襲で、自宅にあった自作曲の楽譜がすべて焼かれてしまったそうだ。今、僕らが聴くことのできる曲の何倍もの量を、実はコツコツと書きためていた為三さん。さらに同年10月、それまで疎開先として帰郷していた秋田から再び上京するやいなや、その2日後に亡くなってしまった。

晩年を過ごした東京・滝野川(今の北区)の自宅からは、毎日のようにピアノの音が聴こえていたのだそうだ。為三さん、僕はもっともっと為三さんの曲を歌ってみたいな。どうか伴奏をお願いします。