映画『二十四の瞳』& ♪七つの子

2024. 11. 18. 04:43Children's Songs

二十四の瞳』(にじゅうしのひとみ)は、1952年昭和27年)に日本壺井栄が発表した小説である。

第二次世界大戦の終結から7年後に発表された小説で、作者の壺井栄は、自身が戦時中を生きた者として、この戦争が一般庶民にもたらした数多くの苦難と悲劇を描いた。

 

1954年に公開された木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演の映画化作品。

 

 

 

高峰 秀子(たかみね ひでこ、1924年3月27日 - 2010年12月28日)は、

1924年(大正13年)3月27日北海道函館市に父・平山錦司、母・イソの長女として生まれる

日本女優歌手エッセイスト。本名は松山 秀子(まつやま ひでこ)、旧姓は平山(ひらやま)。愛称は「デコちゃん」。

子役から大人の女優へ成長、戦前・戦後を通じて半世紀にわたり日本映画界で活躍した女優の1人。

 

 

木下 惠介(きのした けいすけ、新字体:恵介、1912年12月5日 - 1998年12月30日)は、日本映画監督脚本家。本名は同じ(旧名:正吉)。 監督としての映画の名前の表記は1960年代には「恵介」が混在している。

1912年(大正元年)12月5日静岡県浜松市(現在の浜松市中区)伝馬町で食料品店(漬物製造)の「尾張屋」を営む父・周吉、母・たまの8人兄弟の4男として生まれる

 

1943年(昭和18年)、『花咲く港』で監督デビューし、ともに終生のライバルとして日本映画界を支えてゆくこととなる黒澤明とともに山中貞雄賞を受賞する。

1951年(昭和26年)、日本初の長編カラー映画となる『カルメン故郷に帰る』を発表し、NHK映画ベストテン第1位、日本映画文化賞を受賞。

1954年(昭和29年)には『二十四の瞳[4]ブルーリボン賞作品賞、毎日映画コンクール日本映画大賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞などを受賞。同年のキネマ旬報ベストテンでは同作と『女の園』が黒澤の『七人の侍』を抑えて1位・2位を独占する。

 

 

映画『二十四の瞳』 \ 浜辺の歌 ♪

https://www.youtube.com/watch?v=a-N-E6MBtlE

 

高校一年生の時、国語の渡辺先生の夏休みの宿題が、教科書にあった「二十四の瞳」を熟読して来て下さい!であった。試験に必ず出題するから・・・!と。僕はテニス馬鹿り人間だったので、単行本は読まず、教科書に載っている部分だけを何回も読みました。それだけで、涙が溢れ出てきました。試験問題は「二十四の瞳に出て来た歌の名前を二つ書きなさい」という脳トレの様な問題でした。秀才の森一夫君は「七つの子」だけしか思いつかなかった。僕は教科書二、三ページのダイジェスト版を読んだだけなので、括弧書きの(浜辺の歌)を見落とすことなく正解しました!その時から、浜辺の歌と渡辺先生を好きになりました

 

♬合掌 源兵衛尉助三郎

 

 

 

「七つの子」 山野さと子

作詞:野口雨情、作曲:本居長世

https://www.youtube.com/watch?v=r5B91TmyDU8

 

 

「七つの子」

野口雨情作詞・本居長世作曲

 

絵はkiyosi kobayasiさんの作

 

카라스 나제나쿠노

烏(からす) なぜ啼(な)くの

카라스와 야마니
烏は山に

카와이 나나츠노코ㅇ가 아루카라요
可愛(かわ)い 七つの子があるからよ

까마귀는 어째서 울지
까마귀는 산에
귀여운 일곱 아이가 있기 때문이야.


카와이 카와이토 카라스와 나쿠노
可愛(かわ)い 可愛(かわ)いと 烏は啼くの

카와이 카와이토 나쿤다요
可愛い 可愛いと 啼くんだよ

귀엽다 귀엽다고 까마귀는 지저귀는 거지
가와이 가와이라고 지저귀고 있는 거야


야마노 후루사에 이ㅊ테미테고란
山の古巣(ふるす)へ いって見て御覧(ごらん)

마루이 메오시타 이이코다요
丸い眼をした いい子だよ

산속 고소(새집)에 가서 보렴
동그란 눈을 하고 있는 좋은 아이야.

 

♪七つの子 - Nanatsu No Ko|♪ 【日本の歌・唱歌】

https://www.youtube.com/watch?v=1fuAsFyuiic