「岸壁の母」 二葉百合子 「 百年桜」

2024. 12. 7. 03:34Japanese Arts

https://www.youtube.com/watch?v=beQ36LR9cYk&t=505s

 

 

二葉百合子〜芸道一筋・ラストコンサート〜

https://www.youtube.com/watch?v=beQ36LR9cYk

 

水森かおり・演歌・歌

Jun 22, 2011

 

 百年桜(햐쿠넨자쿠라) 사카모토 후유미

작사: 아라키 토요히사(荒木とよひさ)

작곡: 겐 테츠야(弦哲也)

 

1.

情(なさけ)に惚れて 惚れましょう

정에 반하고 반합시다.

わたしは思うの 人の世は

나는 생각해요  인간세상

みんな切ない 事があり

모두 안타까운 일이야

つまずく時も あるけれど

넘어질 때도 있지만

 

人生っていいですね 想い出だけじゃない

인생이란 좋아요   추억만이 아니야

百歳(ひゃく)まで惚れて 百歳まで惚れて

백세까지 반하고 백세까지 반해

あなたと咲かせる 百年桜

당신과 함께 피워요 백년 벚꽃

2.

涙に惚れて 惚れましょう

눈물에 반하고 반합시다.

わたしもそうして 生きてきた

나도 그렇게 살아온

みんな苦労の 種があり

모두 고생의 씨앗이야

泣きたい時も あるけれど

울고 싶을 때도 있지만

 

倖せは半分ね 欲張るものじゃない

행복은 반으로 욕심부리는 것이 아니야

百歳まで惚れて 百歳まで惚れて

백세까지 반하고 백세까지 반해

あなたと咲かせる 百年桜

당신과 함께 피워요 백년 벚꽃

 

人生っていいですね 想い出だけじゃない

인생이란 좋아요  추억만이 아니야

百歳(ひゃく)まで惚れて 百歳まで惚れて

백세까지 반하고 백세까지 반해

あなたと咲かせる 百年桜

당신과 함께 피워요 백년 벚꽃

 

 

「岸壁の母」二葉百合子、92歳歌声健在なり

https://www.youtube.com/watch?v=qbNknECiUJo

 

@中川清香1 year ago

二葉百合子さん、凄すぎる!浪曲で鍛えあげた声量は衰え知らず。鳥肌がたちました。どうぞいつまでもお元気でと願わずにはいられません。感動しました。

 

 

岸壁の母  二葉百合子

作詞 藤田まさと  作曲 平川浪竜

https://www.youtube.com/watch?v=hn4rqCK26oU

 

 

雑草のうた 

二葉百合子&坂本冬美&島津亜矢&原田悠里&石原詢子&五木ひろし

作詞:荒木とよひさ 作曲:岡千秋 編曲:池多孝春

https://www.youtube.com/watch?v=gCyGl3bb7Gs

 

 

1.

下駄(あし)で踏まれりゃ 耐えなさい

발에 짓밟히면 참고 견뎌내세요

泥をかぶれば 耐えなさい

진흙을 뒤집어쓰면 참고 견뎌내세요

この世に生まれた 雑草は 雑草は

이 세상에 태어난 잡초는, 잡초는

弱音吐かずに 背伸びして

우는 소리를 하지 않고 발돋움하여

空を見上げて 生きている

하늘을 올려다보며 살고 있어요

 

 

2.

桜に生まれた 人もいる

꽃(명문 가문)에서 태어난 사람도 있고

母を知らない 人もいる

어미를 모르는 사람도 있어요

この世に名もない 雑草は 雑草は

이 세상에 이름도 없는 잡초는, 잡초는

人を嫉まず 羨まず 사람을

질투하지 않고 부러워하지 않고

大地に根っ子で 生きている

대지에 뿌리박고 살고 있어요

 

 

3.

雨にも敗けずに くいしばり

비에도 지지 않고 이를 악물고

風にも敗けずに くいしばり

바람에도 지지 않고 이를 악물고

この世を見捨てず 雑草は 雑草は

이 세상을 본체만체하고 잡초는, 잡초는

冬に枯れても また春に

겨울에 시들어도 다시금 봄에

生命(いのち)いっこで 生きている

생명력 하나로 살고 있어요

 

岸壁の母(在岸壁之母)

2019/08/24 23:04

 

 「岸壁の母(がんぺきのはは)」は、昭和29年(1954年)9月に日本の歌手菊池章子(きくち あきこ、1924年1月28日 - 2002年4月7日)の演唱で発表された楽曲です。
 この楽曲は当時レコード売上100万枚を超える大ヒットとなりましたが、その後、二葉百合子(ふたば ゆりこ、1931年6月23日 - )が浪曲調にアレンジして台詞も加えたカバー版が昭和46年(1971年)に発表されてその翌年にはシングルカットされました。
 二葉百合子版の方は250万枚を超える空前の大ヒットとなり、現在はこちらの方が一般によく知られています。

 

 作詞は藤田まさと、作曲は平川浪竜(ひらかわ・なみりゅう)が担当しています。
 歌詞は、終戦直後シベリアに抑留された息子端野新二の帰りを待つ端野いせ(1899.9.15 – 1981.7.1)の実話を元に作られています。
 石川県出身の端野いせは、船員の夫に随って北海道の函館に昭和5年まで住んでいましたが、夫と娘を相次いで失くしたことから、新二を養子に迎えて昭和6年に上京して終戦後も東京都大森に住んでいました。
 しかしながら、ソ連からの引き揚げ船が来る港は京都府北部の日本海側にある舞鶴港であったため、新二の生存と復員を信じる端野いせは昭和25年(1950年)1月の引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に、その復員名簿に新二の名が無いにもかかわらず東京から遠路足を運んで舞鶴港の岸壁に立っていました。

 

 作詞した藤田まさとは、この端野いせが引き揚げ船の来る都度舞鶴の岸壁に立つ事情を聞いて、母親の子を思う愛への感動と戦争へのいいようのない憤りを感じてすぐにペンを取り、高まる激情を抑えつつ詞を書き上げたといわれています。
 その歌詞を読んだ平川浪竜は、これが単なるお涙頂戴式の母ものでないと確信し、徹夜で作曲して翌日テイチクレコードに持参しました。
 さっそく平川は視聴室でピアノを演奏し、テイチクレコード会社の重役と文芸部長、作詞した藤田まさとの3人に聴いてもらいました。
 ところが歌い終わっても3人から何も反応がありませんでした。実はその時3人は感動に涙していたのであります。